『陽香と呼ばれた女は答えない。』

「ねぇ陽香、俺さ、普段からさ、基本的に因果律を無視した存在じゃん。何つーかさ、不文律にも成文法にも捕われず、重力にさえ縛られないっつーかさ。手を離したら重力のくびきから解き放たれてびゅーんって宇宙までぶっ飛んで行きそうな、そんなアレがあるじゃない。雰囲気って言うかさ。勢いっつーか、オーラ? フレーバー? とにかくそんなの。ねぇ聞いてんの?」

陽香と呼ばれた女は答えない。

「自分でも駄目だなーとは思うんだ。オムレツ食うとき玉子の皮はがして中身の具から食べるじゃない。あれはやっぱまずいわ。お皿が狭いと食いづらいんだ、散らばっちゃって。プレーンだと何も入ってなくてすげぇ悲しいし。」

陽香と呼ばれた女は答えない。

「それとあと、マウスを全力で握るじゃん、俺。知らない? 知らないか、そうだよな、お前の前でパソコンなんか操作する機会ないもんな。でも俺全力なのよ。握力計握るときみたいにさ、顔真っ赤にして握らないと気が済まないんだ。もうポインタ操作するどころじゃないし。握るので必死。で、こないだマウス壊れてやっぱ駄目なんだなって痛感した。」

陽香と呼ばれた女は答えない。

「動物で言うとシーモンキーみたいな、レアなんだかありふれてんだかわかんない、でも時代遅れだってことは間違いない類の。オオツノジカみたいな気品はないけど、シマウマみたいなプライドはある、みたいな。シマウマって特権的だよな、シマあるんだもんな、そもそも。」

陽香と呼ばれた女は答える。

「切るね。わけわかんないから」

「え、待ってよ。待って待って。俺、」

「そういう意味ないことを延々喋られるのって、意味わかんない。馬鹿にしてんの?」

「してないしてない、してないよ。誓ってしてない。」

「だったら」

「だってさ、バイト先での店長の愚痴とかさ、部活の先輩の悪口とかさ、ドラマの話とかさ、そんなん話したってそっちの方が意味なくない? そんな話いくらしたってさ、何て言うの、俺の中に渦巻いてるこの混沌状態? そのカオスなエネルギーとさ、それを生み出す俺の」

ツー、ツー、ツー、

「不可思議な超自我については何も語れないわけじゃん。喋っていこうぜ、どんどん。俺の言ってるることの半分は確かに無意味かもしれないけど、それって全部お前に俺自身をわかってもらうために言ってんだぜ。」

文章:ビール